Chips - no.27「彼の理由」

 本名、太田信太郎。25歳。
 実業家の父と写真家の母の間に生まれた。
 太田は、「大きなことを成し遂げろ」という父の言葉を拒絶していた。「大きなこと」という漠然とした目標に、リアリティを感じられなかったからだ。
 彼は毎日の時間を、思うままに潰した。本を読んだり、音楽を聴いたり。写真を撮ることもあったし、絵も描いた。すべて趣味だった。
 
 太田はある日、海辺で風景を描いているときに、ランニングをしていた「彼女」をみかけた。名前も知らない彼女に、太田は一目で好感を持った。
 それからも度々、海岸を走る彼女をみつけた。
 ある日一度だけ、彼女と少し話をした。

 だが、その数日後、彼女に似た女性が、ある連続殺人犯に殺されたとして、新聞の一面に載った。
 太田は、死亡したのが彼女ではないと信じたかった。
 海岸にいればまた、彼女が走って現れるのではないかと思った。
 もう一度、彼女の元気な姿がみられれば、それでよかった。

 それから太田は、毎日、彼女に出会った海岸に行くようになった。
 正午から午後5時まで。以前、彼女をよくみかけた時間だ。
 することもなくて、あの時と同じように、絵を描いていた。
 目の前にある、静かで狭い海の絵だ。
 以来、太田は毎日、同じ絵を描き続けていた。

 その生活は、4年後のある日まで続いた。
(Chips - no.41「ある出会い1」に続く)


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Scene35

 ベレットが走り去る。
 私は長い間、その先を見つめている。
 ふいに、ポケットの中のスマートフォンが震えた。
 錯覚じゃない。――どうして?
 取り出す。
 バッテリーが切れているはずのそれは、でもモニターが輝いていた。
 表示されているのはメールフォルダだ。新着メールがある。
 簡潔な文面。

 お前ら、愛の力って信じる?

 私は勢いよく涙を拭いて。
「当然」
 思い切り強く、黒いハートの欠片を握りしめた。


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Scene34

「ごめんな」
 滲んだ声で、彼が言う。
「オレ、間違えてばっかでさ」
 忘れていた涙が、ようやく溢れる。
 ――黒崎くん。
 謝って欲しいわけじゃなくて。
 これまでの事情さえ、もうどうでもよくて。
「一緒に、いてよ」
 振り上げていた拳で、彼の胸を叩く。
 彼を見上げたまま、涙が頬を伝う。
 せっかく、ハートが揃ったんだから。
 一緒にいてよ。
 大きな手が、彼の胸にある私の拳をつかんだ。
「やっぱりさ、間違えたままじゃ、だめだから」
 滲んだ視界で、彼の泣き顔がみえた。
 彼は大きな2つの手で、とても優しく私の拳を開いて。
「アユミ」
 私の名前を、呼んだ。
 一番聴きたかった声で、間違えずに。
 私の名前を呼んだのだ。
「次は、自分で約束を守るから。もうちょっとだけ、これ、貸しておいてくれよ」
 白い歪なハートを、抜き取った。
「信じて、くれるか?」
 震えた、彼の声。
 私は硬い胸に顔を押しつける。
 叫んだ。
「当たり前じゃない!」
 ――どこにも、いかないで。
「ずっと、信じてる。疑ったことなんてない!」
 ――お願い。一緒にいて。
 ほんの一瞬だけ、彼は強い力で、私を抱きしめた。


 Happy end


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Scene33 3/3

 走る。
 走る。
 鼓動より速く。
 走る。
 ベレットに手をかけた彼の背中の真ん前で、ハートを握ったまま、拳を振り上げる。
 彼が、振り向いた。
 ――黒崎くん。
 目の前に、彼の顔があった。
 それで、なんにもできなくなった。


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