Chips - no.27「彼の理由」

 本名、太田信太郎。25歳。
 実業家の父と写真家の母の間に生まれた。
 太田は、「大きなことを成し遂げろ」という父の言葉を拒絶していた。「大きなこと」という漠然とした目標に、リアリティを感じられなかったからだ。
 彼は毎日の時間を、思うままに潰した。本を読んだり、音楽を聴いたり。写真を撮ることもあったし、絵も描いた。すべて趣味だった。
 
 太田はある日、海辺で風景を描いているときに、ランニングをしていた「彼女」をみかけた。名前も知らない彼女に、太田は一目で好感を持った。
 それからも度々、海岸を走る彼女をみつけた。
 ある日一度だけ、彼女と少し話をした。

 だが、その数日後、彼女に似た女性が、ある連続殺人犯に殺されたとして、新聞の一面に載った。
 太田は、死亡したのが彼女ではないと信じたかった。
 海岸にいればまた、彼女が走って現れるのではないかと思った。
 もう一度、彼女の元気な姿がみられれば、それでよかった。

 それから太田は、毎日、彼女に出会った海岸に行くようになった。
 正午から午後5時まで。以前、彼女をよくみかけた時間だ。
 することもなくて、あの時と同じように、絵を描いていた。
 目の前にある、静かで狭い海の絵だ。
 以来、太田は毎日、同じ絵を描き続けていた。

 その生活は、4年後のある日まで続いた。
(Chips - no.41「ある出会い1」に続く)


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