Scene10 01:50〜 2/4-B
しばらくメールをいじっていた。
でも、どこにも送信できない。圏外だから当然だ。
さすがにもう諦めよう、そう決意した時だった。
手の中の、スマートフォンが震えた。
錯覚だ、と思った。電波も届かないところに、私はいるのだから。でも理性とは反対に、身体は素早く反応していた。モニターを覗き込む。
そこには、確かに。
新しいメールが、届いていた。
知らないアドレス。――「少年ロケット」でもない。
文面は――
パスワードは小説のタイトル
パスワード? なんのことだ?
小説といっても、どの小説だかわからない。
ともかく返信してみるが、やっぱりエラー。圏外なのに、一方的にメールが届くことなんてあり得るのだろうか。
――でも、こっちから送れなきゃ、どうしようもないじゃない。
助けも呼べない。警察に連絡してもらうこともできない。
ため息をついて、私は目の前のドアを見つめる。とにかく進むしかないのだ、どれだけドアの向こうが怖ろしくても。ここに留まっていても、何も変わらない。
手を伸ばす。胸が大きな音をたてる。怖い。心臓が痛くて、吐き気さえ覚える。息を止めて、ノブを回す。ドアはこんなにも簡単に開く。
先は暗い部屋だ。
誰も、いないようだ。
息を吐き出す。肌が妙に汗ばんでいた。
ゆっくり、辺りを見回した。広い。リビングだろうか。ソファー、テーブル。テーブルの上には文庫本が1冊。
――本?
先ほどのメールを思い出す。
パスワードは、本のタイトル?
辺りを見渡す。部屋の奥、パソコンラックにデスクトップPCが置かれている。モニターは暗いが、電源のボタンは緑色に光っていた。
そのボタンに、そっと触れてみる。
モニターが明かりを放つ。
そこには、奇妙な画像が映っていた。
世界地図、のようだ。その上に迷路が書き込まれている。あまり丁寧なものではない。雑な線だ。
ともかくエンターキーを押してみた。小さなウィンドウが、画面の中心に表示される。
このコンピュータはロックされています。
パスワードを入力してください。
パスワード? ほんとに?
私はテーブルの上の文庫本を掴む。
そのタイトルを、打ち込んだ。
kinou――
タイトルは日本語だ。読点も入っている。どう打ち込めばいいんだ?
それとも、日本語で入力すればよいのだろうか?
悩みながら、打ち終えた。
エンターキーを押す。ウィンドウの文字が変わった。
ERROR!
違った、のか。
PCから、ビィ、ビィと耳障りな音が響いた。息が詰まる。電源ボタンを押すが反応しない。なんなの? 立ち上がろうとして、デスクで強く腰を打つ。勢いよくまたチェアに座り込む。
モニターに正方形のウィンドウが開いていく。いくつも、いくつも、重なり合って。まず見えたのは私の顔だった。それから、私の背後、私の耳、私の左手――
無数のウィンドウに、無数の私が映る。私が動くと、モニターの私も動く。今、この場面を撮られているのだ、と理解した。あらゆる角度から、あらゆる私を。辺りを見回す。モニターの私も首を振る。だがカメラは見つからない。
ビィ、ビィとうるさい音はまだ鳴り続けている。私の画像には、判子を押すように、同じ赤い文字が張りつけられていく。
WANTED!
WANTED! WANTED! WANTED!
何かとんでもない失敗をしでかしたのだと、ようやく気づいた。
混乱する。視界がぼやけた。涙が滲む。
ポケットで何かが震えた。スマートフォン。電波がないじゃ、なかったのか? 慌てて引っ張り出す。やはり、左上には圏外の文字。
なのに1通のメールが届いていた。差出人はまた「少年ロケット」だ。
メールには、妙に陽気に。
うーん!!
本のタイトルは、関係ないんじゃないかなっ!
わかんないけど、なんかそんな予感がするぜ!!
他の方法で頼むっ!
そう、書かれていた。
意味がわからない。きっと誰かの悪ふざけだ。
視線を戻すと、モニターには、また新しいウィンドウが現れていた。
白く、小さなウィンドウ。そこに無機質な文字が並んでいる。
おめでとうございます。
あなたは次の一面記事に選ばれました。
ゆっくりと、時間をかけて、その短い文章を読だ。
読んでから意味を理解するまで、さらに時間がかかった。
あまりに遅すぎるけれど、ようやくわかった。
――きっともう、トレインマンからは逃げられない。
悔しくて、私は強く、目を閉じた。
Bad end - no.2「パスワードが違います」
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