Scene3 23:10〜

「待てよ。もうすぐバイト上がるからさ、送っていくよ」
 と大久保が言った。
 私はうんざりして首を振る。
「いいよ」
「遠慮するなよ。ほら、家、同じ方向だし」
「知ってるの?」
「え?」
「私の家」
「ああ、いや。ほら、道を歩いてるの、何度か見たからさ」
「ふーん。障子に目ありだね」
「障子なんて町なかにはねぇけどな」
 得意げに、大久保はへへへと笑った。私は内心でため息をつく。
「今日はもう帰るよ。みたいドラマがあるんだ」
 大久保はほんの一瞬、困ったように眉を寄せた。でもすぐに気を取り直したのだろう、人差し指を立て、大きな声で言う。これが切り札だという風に。
「岡田も知ってるだろ? トレインマン! 最近、この辺りにも出たらしいぜ」
 もちろん、知っている。

 この国において、トレインマンを知らずに暮らすことは不可能だ。
 テレビでニュースを流していたなら。
 新聞の一面がちらりとでも目に入ったなら。
 インターネットのニュースサイトに並ぶトピックスを眺めたなら。
 必ず、その名前を目にするはずだ。
 愉快犯、トレインマン
 あれは半年ほど前に、連続殺人鬼として現れた。被害者も、現場も、殺害方法もすべてばらばら。それらの事件が同一の犯人によるものだとわかったのは、被害者が皆、共通して1枚の切符を握っていたからだ。模倣犯はあり得ない。切符にはすべて、同じ指紋が残されていた。
 以降、トレインマンは様々な方法でニュースを騒がせた。爆破の予告状を出し、孤児院の子供たちにゲーム機を買い与え、不法駐車のフロントガラスに落書きをして回った。その合間にまた人を殺した。すべて、同じ指紋の切符が添えられていた。
 日本中がトレインマンに注目している。不景気よりも国際問題よりも、具体的でわかりやすい恐怖として。今なら、トレインマンがカフェでコーヒーを注文したというだけで、各新聞社が大々的に取り上げるだろう。

 大久保がまくし立てる。
「危ないよ。大ピンチだよ。必要なのは集団下校だ。小学生だって知ってるさ。こんな時に女の子が、一人で夜道を歩いちゃいけない」
 心配はありがたいけれど。
「でも、危ないのは誰だって一緒だよ」
 被害者も、現場も、殺害方法も全部ばらばらなのだ。日本中どこにいても、誰であってもトレインマンに襲われる危険はある。
「別に性別とか年齢で、狙われるわけじゃないんだから。危ないことをぜんぶ気にしてたら、横断歩道も渡れないよ」
 ランダムに発生する悲劇にいちいち構っていても仕方がない。そんなことのために毎週観ているドラマを犠牲にはできないし、好きでもない男の子に気を持たせるつもりもない。
 下心が混じっていたとしても、大久保の善意はありがたいものだ。でも私は生まれつき下心が苦手だし、それを無視して善意だけ受け取るような、器用な真似もできない。
「じゃあね」
 ペットボトルが入ったビニール袋をぶら下げて歩き出す。
「おい待てよ」
 妙に真剣な声で、大久保が言った。
「なんとなくわかるんだ。お前を放っておいちゃいけないって。別に、超能力とか、そういうんじゃないけどさ。昔からオレ、勘が鋭いんだよ」
 それはうらやましい。私は昔から、勘が鈍い。
 シャツの下のペンダントに触れる。
「でも、観たいドラマあるし」
 なんとなくわかるのは、もう、このコンビニには立ち寄らない方がお互いのためだろうということくらいだった。


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